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小論文コラム

小論文の課題では、課題文をしっかりと読んで内容を理解し、その上で論述するということが求められています。

どのように踏まえるのかを悩んでいる人もいるでしょう。

1)課題文を理解できているか、

2)どのような問題点を論旨の中心にして論述できているか、ということに注目しましょう。

まず、論述を始める前に課題文のある論述ではその内容を把握し、筆者の考えが何であるかを読み取らなければなりません。

そしてそれに対してあなたがどのように考えているのかを、分析メモに書き出してみましょう。問題も「次の文章を読んだ上で」と書かれていれば、まずは内容を踏まえてみましょう。

論文は、筆者が問題点を考察した結果を表現するものですね。また、読み手が存在するものですから、その読み手に説得力のある理解しやすいものである必要があります。

とても難しいものと感じられるかもしれませんが、見つけた問題点を深く考察した論文は結果的に読み手を説得する内容になりますし、共感を得やすいものです。

そしてそのような論文を書くための基礎となるものがメモとアウトラインなのです。メモをとりながら問題点を探し、解決策を考え、さらに次の疑問点に出会い・・といったことを繰り返して考察を深めていってください。

自分なりの考え方を見つけ出せるようになってくれば、そこからさらに理由と根拠を明確にしながら発展させていく、掘り下げていく、という作業がアウトラインシートでしっかりと出来るようになります。そうすれば、かならず合格論文は書けます。

どんな分野にしろ、自分の考えをどれだけ深められるか、きちんと根拠のある主張を分かりやすく論述できるかで、小論文の評価は大きく変わってきます。

試験本番でも、ここで習得した「深く考える力」を生かして、がんばってくださいね。


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テーマ「好奇心と子供の『分からないなぜ?』を育てる」を論述するヒント

By admin | 8月 20, 2008

一般的に子供は、好奇心のかたまりです。「分からない」ことばかりが自分の周りにはあります。もちろん、大人の周りにもたくさんあるわけですが、大人はそれを見て見ぬふりをしていたり、知ったかぶりをしていたりして、「なぜ?」と思う気持ちよりも知らないことが恥ずかしいことなのだと思う気持ちの方が強いのかもしれません。世の中のありとあらゆるものは、そういう「なぜ?」という好奇心と「分からないこと」によって生み出されているのだと思います。人と人とのコミュニケーションも同様な疑問から始まる、という考え方をしてみるのも一つのアイデアです。

 では、この「分からないこと」を楽しめる子供と楽しめない大人の間には、どんな違いがあると思いますか? それは、大人になる過程において「なぜ?」と好奇心いっぱいの時代を通り過ぎ、科学を理解できる力がついたこと、そして、大きくなるにつれて疑問を持つこと自体を忘れてしまったり、「分からない=知らない=恥ずかしい」という公式が自分の中に成り立ってしまったとも考えられます。分からないことは、何も外界のことに限りませんね。たとえば一番わからないのは、自分自身かもしれません。様々な場面で、自分で自分がわからなくなる時ってありませんか? 自分が考えていることに、矛盾を感じたりすることもあるでしょう。どんなことにでも疑問を持つことは、とても大切なことだと思います。例えば、「夕焼けはどうして赤いの?」という問いかけに「お空が恥ずかしがっているから」という答えは子供にとっては、想像力を大いにかき立てるものでしょう。

 さらに、「じゃ、どうして恥ずかしがっているのかなぁ?」と、新たな疑問をもち、自分なりの想像をふくらませていくことは、ますます物事に対する好奇心をかき立てることになりますね。子供の「なぜ?」に丁寧に答えることで、大人もまた想像力を駆使して、子供の素朴な疑問の解決に役立つのですね。そこでは、何でもすべてが科学的解明によって説明がつくと言うのではなく、人間の感情や概念に直接働きかけて解釈する(想像する)楽しさがあります。また、人間の直感を信じて、わからないことに立ち向かおうとする楽しさもあります。そこには「科学的」という視点はあまり重要視される必要はなくても、豊かな想像力でもって人間社会に夢を与えてくれます。実際に過去の偉大な科学的発見や発明も、その端緒は直感的なインスピレーションによって生み出されたとはよく言われることですね。「真の科学的理解は、非合理性のある子どもともつながっている」というのは、このような人間的感情(想像力)の大いなるはたらきの重要性(人間的感情で潤いのある社会を作る必要性)を言っているのだと思います。

 大人が子供の疑問に対してどのように答えることが望ましいか、という視点から考察を深めてみましょう。子供の疑問に大人が科学的に答えると、「子供は自分の望んだ答えが得られないために、その後質問することを怖がって、疑問を持っても人に聞かなくなるだろう。」と考えることができます。疑問に感じたことすらも、悪いことに感じてしまうのではないかと考え、そのため、子供の疑問がそこで終わってしまい、次の疑問も出てこなくなるので、大人は、子供が興味のわいてくるような答え方を、もっと「丁寧に」するべきだと結論づけることが可能です。なぜ「大人に問いかけをしなくなってしまう」のか、その原因を考えることが問題にとって、とても重要なポイントになる論点です。

 大人は、科学的に解明されて説明のつく事象に対しては鈍感です。ましてやそれが、社会生活に深く浸透していれば、なおさら「当然だから」「常識だから」と、疑問を持つことなく追求していく姿勢を止めてしまいます。分からないことに対しても、科学的説明を求めたがります。このような狭い了見に捉われて好奇心の方向が偏ることのないように、精神的にも豊かな社会を作り上げていくには、大人自身も「子供の疑問に対する答え方を楽しもうとする気持ち」をどのようにして持つことが望ましいのか、子供と大人が共通の世界観を持つにはどうあるべきか、と、さらに考察を深めていきましょう。

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